まず初めに、この場をお借りして日頃より関西大学ラクロス同好会男子部の活動にご支援・ご声援を頂いております、保護者の皆様、OB・OGの皆様、関係者の皆様に深く感謝申し上げます。


4年のラクロス人生が終わった。
入部したのをつい最近のように覚えている。


1年の夏、コロナでつまらん生活をしていて刺激が欲しくて行ったラクロス部の体験会。そんな状況だったので動く人もそう多くはおらずスタッフ含め

3、4人での体験会。先輩達は優しかったがスポーツ自体にピンとは来ていなかった。

何度か体験会を重ね、冬前に入部。同期は少なく、体験会から寝坊し次第に入部した人数はごく一部だった。その時も生活に刺激が欲しい、先輩にいい人が多いとかの理由で正直バレーボールの方が楽しいなと思いながら入部していた気がする。

そんなこんなで過ごした日々だったが気が付けば4回生になっていた。徐々にスポーツの魅力にも取りつかれていたと思う。

残った4年は副将のたいせいとの2人だけ。不安しか無かった。

掲げた目標はファイナル3。




結果は惨敗だった。

6敗、1部7位。

下入れ替え負け。

2部降格。




呆気なく終わってしまった。なんとか1部の座を守り抜こうとしたけれど、及ばなかった。



負けても死なない、結果が伴ってなくてもそれまで頑張っていたから自信もって。


そう言ってくれるOBさんがいた。

凄く嬉しかった。でも結果が出なければこれまでの行動はなんのためにやっていたか分からなくなる。これまでの行動全てを悪い方向に捉えてしまう。


この1年、引退した時にチームにでっかい穴が空く。
そういった個人目標をもって取り組んできた。プレー、チーム、どの面を取ってもみんなに助けて貰うばかりで僕は何一つチームに還元できなかったと思う。


主将という立場を1年間務めていたけれど本当に向いていなかったなと思う。引っ張っていくタイプではなかったからみんなの意見を聞いてまとめあげていく、そういった方向性で取り組んでいたけどそれも上手くいかなかった。
どこか生ぬるく締まりきれない雰囲気を作り出してしまった。その緩みが結果的には自主練、トレーニング等で自分を、チーム全体を追い込みきれなかった原因だった。
でもそんな中、たいせいや幹部の子は自分に足りない部分を補って引っ張っていってくれた。本当にありがとう。




関西での全学決勝、閉会式でのベスト10
表彰。そんな舞台に立ちたかったなと思いながらもうなんの意味もないジムでのトレーニングをその日した。




楽しかった思い出は十分にあるけど、
みんなはもっと楽しい思い出で終われるようにしてください。


たいせい
4年間お疲れ様でした。何度も言ってるけど残った同期がたいせいでほんとうに良かったと思ってる。それぐらいGとして、4年としてチームに力を注いでくれていたと思います。思い出は卒業アルバムに書いておいたので読んでね。
ありがとう。



後輩へ
力不足で勝たせてあげることができなかった。スポーツの1番の醍醐味をこの1年間味あわせてあげることができなかった。1部の舞台を用意してあげることができなかった。本当にごめん。
3年生、FOとった時、点とった時、ピンチを守り抜いた時、本当に最高のプレーやった。
今後もっと偉大な、でっかい背中を見せつけてあげてください。
2年生、3年生に食らいついてください。もっともっと上手くなれる。全員でスタメン入り目指して。人数少ないけど支え合ってね!
1年生はいっぱい成長してください。自分達が上の立場になる時、どんな後輩を可愛がってあげたい?どんな後輩と一緒に戦いたい?どんなチームにしたい?
1年生は1番人数が多いから自分達次第でチームの雰囲気は変わると思ってください。チームの一員としての自覚を持って。



ありがとう。

23年度主将宮田隼弥



それぞれの4年間

 

平素より弊部の活動をご理解、ご支援頂きありがとうございます。これまでの関西大学同好会ラクロス部を作り上げてきたOB・OGの皆様、日々ご支援くださった保護者の皆様、コーチの皆様には感謝してもしきれません。



そして、今シーズンを支えてくれた部員のみんな、ありがとう。

 



最後のブログということで、何を書けばよいのかわかりませんが、心の赴くままに書こうと思います。



リーグ戦一試合目、近畿大学に負けたとき、本当に涙が止まらなかった。


今シーズンが始まる前、下馬評でも明らかに僕たちは弱かった。

だが、トップリーグの接戦で近畿大学に勝ったことで、僕らも戦える、そう感じた。


そこから練習試合を戦う中で、まったく勝てなかった。トップリーグで勝ったあの瞬間と何が違うのか、何が悪かったのか、どうしたらよいのかわからなかった。


一定程度戦えている、そういう認識はあった。


だからそれに甘えた。

勝てなかったことから目を逸らし続けた。


その結果が二部降格だと思っている。そして、ファイナル3を達成する上で絶対に勝たないといけないのが近畿大学だった。

しかも、その負け方はこれまでにないほどの完敗だった。



ああ、俺らの目標はここで終わった。



本当に心の底からそう感じたし、2部降格する瞬間まで見えた。そしてその予感通り近畿大学は4位になり、僕らは2部に降格した。すべてを予感し、負けた結果を受け入れられず、本当に涙した。

 


そこからの6試合、もちろん全力で取り組んだ。見えた未来に怯えながら、その未来を変えるために臨んだ。でも近畿大学以上に、他大学との差は大きく感じた。


絶望した。


なんど止めても、止めても、止めても、決められ、決められ、決められ、決められ、負ける。


思い通りにいかない怒りに、恐怖に怯えてリスクを取れない自分に、仲間に、苛立ちが隠せなかった。

どうやったらいいのか、まったくわからなかった。

将来が見えなかった。何も変えられなかった。勝ちに一縷の希望すらもてなくなり、負けることに慣れていった。それを誤魔化すように声を出し、練習し、それでも勝てない。やはり勝てない。完全に負のループに陥っていった。

ただただ涙した。みんなはどうだったのかは知らないが、本当に苦しかった。

 


最終試合、その前の大阪公立大との練習試合、少しだけ希望が持てた。


勝ち、一部残留が見えた。


私たちにもその可能性は十二分にあった。

3-4まで来たとき、次の1点を取ったほうが勝つという確信があった。

それは大阪大学の選手も同じように言っていた。その1点が取れなかった。これが僕らの弱さだろう。上手い下手ではない、弱さなのだろう。そうして僕のラクロスは終わった。

 後輩のみんなは、こうならないよう、日々練習に励んでください。

 




これからは自分の4年間を振り返りたいと思う。

鹿児島出身の私は、関西大学という誰も知り合いのいない環境に飛び込んだ。

コロナにより授業は全くなく、半年間友達もいないままバイトだけをしていた。

秋学期になり、対面で授業があり、その時言語で一緒だったいぶきに連れられて、ラクロスの体験会に行った。

最初は別に面白いとも何とも思っていなかったが、教えてもらったのがすべて消えるのももったいないと思い、そのまま続けていた。同期は9人。特段仲の良いわけではなかったが、それなりに一緒に壁に行ったりもしていた。


ゴーリーは自分がやりたくて希望した。


サッカーのキーパーが好きだったので、似たようなものだろうと思い始めた。

思ったよりも痛かったが、それなりに楽しかった。ウィンターで初めて試合に触れた。それまではラクロスの試合なんて1回も見たことなかったし、練習試合もなし、ルールも曖昧、戦術も教えられず、ただいわれるがまま出場し、こんな面白くないスポーツなのかと思った。

ウィンターでも1試合も勝てずに終わった。本当に面白くなかった。そしてそのまま上級生の練習に合流。僕は接触もないのでなにも思わなかったが、同期は痛い、と口にすることが多くなった。先輩の悪口を言うことが多くなった。気づけば一緒に壁に行くこともなくなっていた。


気づけば一人、また一人と減っていった。


今思えば、試合もない、勝つ喜びを知らない、そんな状況下で上級生との練習にぶち込まれ、たたかれる、押される、罵倒される、なんのためにやるのかわからなくなる。いつこの状況が終わるのか、変わるのか、まったくわからないまま進む。そりゃ辞めたくなる。そう思う。宮田は頭がおかしいというのがよくわかる。


大学2年に上がるとき、父の一周忌があり、鹿児島に帰省した。

父は大学1年の夏にこの世を去った。みんなから愛される、尊敬できる、大好きな父だった。いつ見ても大きなその背中についていった。いろいろなことを経験させてくれた、厳しく𠮟ってくれた、愛してくれた。本当に大好きだった。亡くなる直前に一緒に過ごした数週間、大きかった父はやせ細り、車いすで生活し、やがて立てなくなった。そしてこの世を去った。火葬のボタンは自分が押した。


そこから逃げるように生活していた私にとって、この1周忌のタイミングでの帰省は、父の死と向き合う時間となった。

ラクロスのことなんかこれっぽっちも考えず、ただただ時間を浪費した。元気なように見せていたが、本当は辛かった。今でも結局受け入れられていない。


その後、21シーズン終わり際にラクロスに戻った私はほとんど初心者の状態からなんとか練習を重ねた。


2枚目のゴーリーとして過ごした22シーズンは本当にきつかったまったく成長している実感がわかなかったし、だれの目にも映っていないだろうなとよく思っていた。

シーズン開始からリーグ戦の直前まですべての練習試合で負け続けていたチームで一生出ることができなかった。

出す、今日は出す、何点差で出す、そう言われ続けまったく出れなかった、本当に意味が分からなかった。

結局出れた試合は一試合だけ。1枚目のゴーリーが病欠だったときだけだった。なぜ出れないのか、どうやったら出られるのか全く理解できないし、目標も持てない、出る期待もない。モチベーションなど皆無だった。


結局出た試合は引き分けだったものの、それまでで最小失点くらいだった気がする。それでもそのあと試合で使われることはなかった。

何をやっても出られない。努力しても誰も見てくれない。そう確信した瞬間だった。

1枚目になった23シーズン、最初から最後まで1枚で活動した。練習から試合まで全て1枚で戦った。それまで一試合しか経験したことない私にはこれくらいやっても足りなかったようだ。

まずは試合に出られることがうれしかった。楽しかった。とくにトップリーグ近大戦はとても楽しめた。やっとラクロスをプレーできた気がした。自分で合宿を手引きしたり、スポンサーをとったり、体育会に直接行って会話をしたり、本当にいろいろな経験ができた。結果が振るわなかったくせに何を言っているのだといわれるかもしれないが、個人的には本当に充実した1年だった。


こんな自由な環境に感謝している。

 

4年間振り返って、100点満点か、と聞かれたら全くそんなことない。結果は振るわなかったし、常に孤独だった、同期は少ない。ただ、最後の一年間は楽しく、充実した唯一無二の経験であったことは間違いない。間違いなくラクロスは大切な人生の要素となった。最後の一年、やりたいことを好きにやらせてくれた周囲のみんなに、環境に感謝したい。

 


最後に、来年関西制覇を目指せる環境を用意できなかったこと、本当に申し訳ない。今後はOBとして一部に昇格、全国の舞台に関西大学が立てるよう、できる限り尽力していきたい。


みんなの4年間を自分にとって価値のあるものにしてほしい。

お世話になりました。

 





23シーズン副将/主務 熊野大誠




こんにちは。
関西大学一年生のLDの奥野真大です。

ついに待ちに待ったウィンターの日が近づいて来ました。

関大ラクロス部に入部した時の目標である「ウィンター優勝」に向かってチーム一丸となって取り組んで参りました。

しかし、部員が当初は22人ほどいた一年生が今では16人と少ない人数になってしまいました。悔しい思いとこのメンバーで勝ち抜こうと言う思いでいっぱいです。

サマーではベスト4と悔しい結果に終わりました。立命館や関学に大敗して実力の差を見せつけられた悔しさは今でも忘れられません。京都カップでも決勝リーグで立命館とか当たり、惜しくも一回戦で敗退しました。
この悔しさを糧に今まで努力して来たことは無駄ではないことを結果で証明してみせます。

サマーではベスト7に選出されました。嬉しかったですが、自分より上手い選手がいる中で、自分が選ばれて良いのかと疑問に思いました。ウィンターではそう思わないような努力を積み重ねベスト10に選ばれるように自信をつけて来ました。

ベスト10に絶対選ばれます。そして、フレッシュマン、ベスト7、ベスト10、の3冠を果たします。

そのためにも決勝リーグに行き優勝する必要があります。関大ラクロス部のオフェンスはやってくれます。

信じてます。みんなで勝ちましょう。

少ない人数で挑むウィンターですが、全力で優勝を狙いに行きます。応援よろしくお願いします。お読みいただきありがとうございました。